介護職員の虐待・犯罪行為を防止する方策について考える その1

相模原での悲惨な事件を受けて、またこのこれに先立っても、介護施設での認知症の利用者に対する虐待やホームヘルパーによる虐待事件も報じられており、介護福祉事業に従事する(していた)職員による犯罪行為は後を絶たない現実があります。

ある介護事業所を多数運営する代表者は、「一つでもそうした事件が自社の事業所で発生したら、会社ごと危なくなる」という不安を口にしていました。

そこで、経営者や事業管理者として職員が現場でそのような犯罪行為に至らないためにはどのような方策があるか検討してみたいと思います。

 

◆介護職員による虐待や犯罪の発覚は氷山の一角か

介護の多くは密室で行われており、尚且つ、認知症や重度の障害者は虐待の事実を訴えられないため、そうした犯罪行為は発覚しにくいものです。

介護施設やホームヘルパーの虐待ケースでも不審に感じたご家族が隠しカメラで撮影し、その事実が発覚しました。また、虐待した職員自体がその行為を撮影してネットに公開するなどという、あり得ないケースでしか発覚しないのが現状です。

また、老人ホームに入居している認知症の利用者のお金が使い込まれているケースでは、実際の被害額が不明であったり、犯人もわからず結局うやむやになっていることもあると聞きます。

従って、こうした介護福祉の現場での虐待や窃盗事件の発生は実は氷山の一角なのではないかということが想像できます。

介護施設の居室や在宅介護の現場に監視カメラを常時設置することは、プライバシーの問題やコストの問題もありなかなか導入は難しいでしょう。たまたま現場が撮影されて発覚しているだけで、密室での犯罪行為は今後も後を絶たないことが予想されます。

 

◆介護する人のストレスは他の仕事よりも大きいことを前提に考えなければならない

 事実、家族による介護では介護する人が介護される人を殺してしまうというケースも多く発生しています。

介護とはそれだけ追い込まれ高いストレスに晒されるものです。そのために介護保険制度ができたと理解しています。

私自身、病院生活をする寝たきりの母親と末期がんの父親の面倒を同時に見ていました。まだ介護保険制度の無い時代で、父と二人暮らしの私は父が亡くなるまでの数カ月の間、家政婦さんを雇い週末には病院に母の様子を見に行くという生活をしていました。その間、私はきっと能面のように表情がなく笑うことすらできない日々を送っていたような気がします。唯一の救いと言えば、父親が最後に担ぎ込まれた病院が母親の入院している病院で、二人で父親の見取りができたことぐらいです。

二人とも認知症ではありませんでしたが、認知症のご家族を持つ方はまた別のご苦労を経験されていると思います。いずれにしても、家族の終末に付き合うことはとても辛いことです。

そして、こうしたストレスを感じるのは家族だけではないでしょう。介護職員もまた同じようなストレスを感じざるを得ない部分があります。介護の現場というのはそもそもにおいて強いストレスに晒される可能性がある場所だということを、まず理解しておかなければなりません。

 

◆ストレスや不満、心の傷が虐待や犯罪を生む

 私は犯罪学の専門家ではありませんが、多くの犯罪者が、何かしらのストレスや不満、心の傷を負っていると考えています。特に幼少期の抑圧は後年の犯罪行為につながる可能性が高いでしょう。幼児期に虐待された経験のある人は、親になってから自分の子供を虐待する可能性が高く、「負の連鎖」があることが知られています。

殺人まで犯す人は大きな抑圧や傷を負っているのではないかと想像します。相模原の犯人も優生思想のような考えに取りつかれていますが、そうした思想を持つに至った心の抑圧が必ずあると考えます。その抑圧からの防衛機制として、あのような歪んだ考えに至っているのでしょう。また、あれだけの無慈悲な殺人ができる人間は、さらに何かしら脳に障害や異常を負っているような気もします。

 第二次大戦やイスラム原理主義、オーム事件などを見れば、人間は比較的簡単に無慈悲な殺人を行えるようになることは明らかです。これらは組織的殺人の怖さを示しているのですが、そうした組織には往々にして何らかのストレスが蔓延しており、そのストレスがあるが故に簡単に殺人を犯すのだと言われています。さらに、心の抑圧は自殺にもつながります。自殺も殺人の一つです。

 こうした抑圧から人間は逃げ出そうとするのですが、逃げ出せない場合、その抑圧は他者への攻撃として発露することは普通にあることです。時に自傷という自分への攻撃にもなります。

 従ってそのような抑圧をうまくコントロールする(コントロールしてあげる)ことが、犯罪を生まない工夫につながるのではないかと考えます。

 

◆組織的な倫理観喪失の怖さ

 さて、組織的な犯罪の怖さは、個人としては通常の倫理観を持っていても異常な環境の組織に所属していると簡単にその倫理観を捨てて、犯罪を犯してしまうことです。

 三菱自動車やフォルクスワーゲンの燃費データ不正は、個人としては悪いと思っていても、組織として昔からそのように仕事をしていると、どうしても不正を糾せなくなることです。大企業ですから辞めることは難しいでしょうし、逃げ出すことも難しいのです。軍隊なども同様で、なかなか逃げ出せない組織ではそうしたことが起きやすいと思います。

 また、若い世代では「仲間」というものを重要視する傾向がありますから、部活動における虐待や、若者グループの犯罪行為は起きやすく、そこから逃げ出すことは「仲間」を裏切る行為につながり、今度は自分が攻撃の対象になってしまう危険性があります。このような風景は漫画やドラマでよく見る風景ではないでしょうか。

 こうした組織的犯罪を発生させる仕組みは介護職場にもあります。

 老人ホームなどで問題行動のある利用者に対して、虐待を受容するような組織的な雰囲気は育ちやすいものです。「あの利用者なんとかしてください」「どうしようもないです。もう世話するのはムリです」そうした不満がスタッフから上司に集まり、具体的な対応策がとられずに放っておかれた場合、スタッフ組織がこの利用者に対する虐待行為を肯定しはじめるのは十分にあり得ることです。

 スタッフはストレスを抱えながらこの利用者に対応します。同じフロアーのスタッフが皆同様のストレスに晒されれば、スタッフ間に依存関係が生まれます。誰かが暴力的な介護を始めても、もうこの組織にはそれを糾す力学は生まれないでしょう。そして暴言や暴力的な介護を受けた利用者もまた心に新たな傷を負い、介護者に対して問題行為によって対抗するという悪循環が発生します。

 認知症で問題行動のある利用者に対する対応方法としては最悪のケースです。老人ホームで撮影されたケースはこのようなケースではないでしょうか。

認知症の研修を受けていれば、こうした悪循環について知識としては理解しているはずですが、組織として対応していると、時に倫理を見失ってしまう怖さがあります。

 私の母親が寝たきりで入院していたとき、無意識で点滴のチューブを抜いてしまうためか、両手をベッド柵に縛られていたことがあります。点滴をしていない時も縛られていることに私は疑問を持ちましたが、看護師さん達の雰囲気にはそうしたある種虐待に近い行為が普通のこととして受け止められている感じがありました。家族としてはとても辛いのですが、母親も自分が悪いのだと受け入れており、そうした雰囲気に私は何も訴えられなかったことがあります。

 病院や介護現場には外の世界とは別の雰囲気が流れていることを理解しておく必要があるでしょう。

 

次回はこうした虐待や犯罪行為を防止するための方策について考察したいと思います。

 

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